考えていること

母が亡くなった時にわかったこと

納棺師

こんにちは、レノンです!

先日、僕の実母が他界しました。

なんのために生きているんだろう

死因は、「虚血性心疾患」。

心臓に血液を送る血管(冠動脈)が狭くなったり、詰まったりすることにより、心臓に十分な血液が行き渡らなくなるという症状で、心筋梗塞がその一つ。

90歳、大往生だったと思います。

父を看取って数年経った頃、母がボソッと言った独り言が心に残っています。

「なんのために生きてるんだろう」

この言葉に、僕は直ぐに返答出来なかった。

僕に質問された言葉ではなかったけれど。

わかったこと

姉夫婦と同居していた母は、自宅で亡くなりました。朝、起こしに行った姉が冷たくなった母を見つけました。

連絡を受けて駆けつけた僕は、この日初めて姉の家に行き、びっくりしました。

びっくりした理由は、母は寝たきりだと思っていたから。

1年前に「間質性肺炎」でひと月入院していた母。

7ヶ月ほど前に、ひ孫を会わせるべく会いに行きたいと言った時、

「今は、○子(姉の名前)にみんなやってもらっている。だから、会いたくない。ごめん、ごめんね。」

って、言われていました。

その言葉から勝手に、母は寝たきりなんだと思っていたのです。

でも、違いました。

母の住んできた部屋を見させてもらったら、

日めくりカレンダーは、前日の表示になっていました。

血圧の推移を記した手帳も、直前まで母の字で記入されていました。

広い部屋は、きちんと整理整頓されていました。

前日まで、食卓まで歩いて食べにきていたそうです。

元気をなくしていたとはいえ、母は直前まで普通に生活していたのです。

自宅の門扉には、姉夫婦の苗字が入った表札と並び、母の苗字の表札もありました。

翌日のお通夜に向け、その日は姉夫婦の家に泊まらせてもらいました。

翌朝の朝食。姉は、野菜とパンと目玉焼きと共に「ヤクルト」を出してくれました。

母が健康のために毎日飲んでいたそうです。

母は、姉夫婦の家で幸せに暮らしていたのだと、はっきりとわかりました。

長男として何もしてあげられなかった僕。

姉夫婦には感謝しかなかった。

ありがとうね。

日々を楽しむ

お葬式は、平安祭典で家族葬にしました。

二人の姉と僕は3人兄弟です。配偶者を入れても6名。一番小さな部屋を押さえました。

「僕たち兄弟だけの家族葬にするように」。亡き母の意向でした。

ところが、兄弟3人の子供(=母から見れば孫)が、葬式に駆けつけてくれることになり、ひ孫も含め23名になり、急遽広い部屋に変更して貰いました。

お通夜では、納棺師の方々が、亡くなった母の体を綺麗に整えお棺に納めてくれました。

映画では知っていたけど、納棺師のお仕事を目の当たりにしたのは初めてでした。

親族の目の前で、若い二人の女性納棺師が、石鹸とシャワーで母の身体や頭髪を綺麗にしてくれた上に、お化粧までしてくれました。

顔色が良くなった母は、生前眠っていたようになりました。

残された遺族にとって、納得のいく葬儀になったのは、納棺師の方々の存在が大きかったと思います。

「お葬式は孫のお祭り」とは、よく言ったもんです。

久々に会う親族同士で賑わい、楽しい葬儀になりました。

母は、孫が生まれる度に世話をしに来てくれました。孫たちが葬儀に出たがったのも頷けます。

今なら、母に言ってあげられます。

「産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。お母さんのお陰で、子供たちは立派に大人になれたんだよ。」

そして「あとは毎日毎日を楽しんでね」。

納棺師納棺師
ABOUT ME
レノン
レノンといいます。定年再雇用のサラリーマンです。僕が、悩みながらも将来に備えやってきたこと・失敗したことを情報として発信しています。悩める同年代へのエールとして、若い方には参考として読んでいただければ嬉しいです。人生は楽しんだもん勝ち。ブラピ&ジョニデと同い年(笑)。まだまだ人生楽しむぞ!
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