母が亡くなった時のこと
もう一昨年ことなので
記憶も感情も薄れてきてますが
だからこそブログに書く気になったので
覚えていることだけを記します
姉が同居してくれました
父が亡くなって十年以上が過ぎ
母の一人暮らしが気にはなっていましたが
姉夫婦が同居を申し出てくれました
何度かお試しでお泊まりしつつ
悩みながらも姉夫婦に合意して
同居することが決まり
母は住み慣れた関西を離れて
姉夫婦と暮らすことになりました
姉と母はある意味性格が似た者同士
だからこそ
そりが合わないことも多々あったと思います
母が亡くなり京都の東本願寺に納骨に行ったとき
「色々あったよ・・」と
姉が教えてくれました
昔からあるしきたりで言えば
苗字を継ぐ長男の僕が同居するのが筋
との考えもあったと思います
それ故に僕としては心苦しくあったのですが
姉は母が亡くなるまで同居し続けてくれました
LINE繋がり
母とはLINEで繋がりながら時折
孫が成長していく写真を送っては楽しんでくれていました
母はバスに乗り遅れるのが嫌で慣れないのに走って飛び乗ろうとして
膝を悪くしてしまいましたから
一旦は完治してからも
長く歩くと痛みが出てくるようで
家の近くを散歩することが日課で
その様子を聞いていましたが
コロナを境に散歩することも減ってきて
やがて出かけることすら億劫になっていました
衰えていく母の状況を考えて
孫を見せに行きたいと話しましたが
姉への気兼ねがあるとの理由で断られました
そして
死に目には会えませんでした
母からすると確かに姉に対する気兼ねはあったのでしょうが
今となっては
母は自分自身の身体が衰えていく姿を感じていて
人に会うのも億劫になっていたのだと思っています
母の死に目に会えなかった残念な気持ちもありますが
それ以上に
ただただ姉への感謝の気持ちで一杯になりました
そして
「お母さん ごめんね ゆっくり休んでね」
次は自分の番だね
父が亡くなり母も亡くなって
次はいつになるかは別として
自分の順番になったことを実感しました
自分の老後はどのように過ごすのが良いのだろうか?
それを真剣に考えるようになりました
出来るだけ子供達の重荷にはなりたく無いな
なるべくそうしようと思っています